■ 気づいたところで、世界は変わらない
人生を生きていると、ふとした瞬間に
「奇跡みたいだな、この世界」
と感じることがある。
けれど──
そんな気づきを得たからといって、
外側の世界が劇的に変化するわけじゃない。
夜勤は相変わらずしんどいし、
物価も上がるし、
他人の価値観は相変わらずバラバラ。
自分を取り巻く環境は今日も特別な顔なんてしてくれない。
世界は、変わらない。
でも、その“変わらなさ”を見つめられる自分は、
ほんの少しだけ変わるかもしれない。
それが、今回の気づきだ。
■ 人生はほとんど「運」でできている
自分の価値観、考え方、癖、選択。
冷静に振り返れば、その大部分は後天的なものだ。
偶然出会った人、偶然読んだ本、
偶然の配属、偶然の出会い、
偶然得たお金、偶然の気分。
こういった“積み重なった偶然”が、
気づけば自分を形作っている。
「選んできた自分」も確かにいる。
けれど、それは偶然が作った舞台の上での選択にすぎない。
だから、同じ人生をもう一度やれと言われても無理ゲー。
いまの自分は、
奇跡のような確率を突破して存在している“偶然の産物”だ。
■ 偶然の積み重ねが「奇跡感」を生む
奇跡なんて大げさなものじゃない。
ただ、確率的に考えれば
“いまの自分がこうして存在している”という事実は、
普通に奇跡に近い。
生まれたときの環境も、
看護師になった流れも、
投資を始めたタイミングも、
結婚したことも、
偶然出会った猫が傍にいることも。
ひとつでもズレていたら、いまの“私”はいない。
その確率の低さに気づいたとき、
世界はやっぱり奇跡に見える。
■ でも、気づいても世界は変わらない
奇跡だと思っても、
明日の仕事量が減るわけじゃない。
気づいたからといって、
急に周りの人が優しくしてくれるわけじゃないし、
評価してくれるわけでもない。
じゃあ何が変わるのか。
自分の視界が1ミリだけ軽くなる。
それだけだ。
ただし、その1ミリは決して小さくないんじゃないかなって思う。
■ 自分が1ミリ変わるとき、人生の質が静かに変わる
視界が1ミリ広がると、
同じ日常が少しだけ違って見える。
- イライラが少し減る
- 他人に左右されなくなる
- 今に意識が戻りやすくなる
- 自分の選択に納得しやすくなる
- 無駄遣いしても「まあええやん」で済ませられる
- 嫌な夜勤も「今日の今」として受け止められる
世界は何も変わっていないのに、
自分だけが静かに変わる。
人生が軽くなる瞬間というのは、
意外とこの“1ミリの変化”で起きるのかもしれない。
■ 生きていれば、どんな選択にも「今」が続く
貯金しても、散財しても、投資しても、
お金があってもなくても、
自分が生きている限り、
その選択の先には必ず“今”がある。
人生は連続した“今”の景色の積み重ね。
奇跡を感じたからといって、
大きく変わらなくてもいい。
ただ、
自分が1ミリ変わるかもしれない。
その「かもしれない」で十分だ。
■ この瞬間の自分を残しておきたい
世界は相変わらず広いし、無関心だ。
奇跡のようで、奇跡じゃない。
偶然が積み重なってできた今があるだけ。
でも、その“今”を少しだけ丁寧に眺められるようになったら、
人生は確かに軽くなる。
世界は変わらないけれど、
その世界を見る自分は、
今日も1ミリずつ変わり続けている。
この感情も、気づきも、温度も、
明日の私(俺)はもう忘れているかもしれない。
だから、
この瞬間の“私”を置いておくために、記事に残す。
- 偶然でできた私
- 世界の広さと意味不明さ
- 気づいても世界は変わらないこと
- でも私が少し変わるかもしれないこと
- ナルシストっぽいけど、悪くない文章
- ただの気分のまま書いたこの言葉たち
全部をまとめて、ここにログしておく。