AIと揺れのあいだで──臨床判断の過渡期を歩く

AIに助けられた夜がある。

判断を任せたわけではない。
ただ、自分の中の曖昧な部分を、
外側からそっと照らしてもらっただけだ。

それでも「AIを使った」と声に出すには、
どこかためらいが残る。
今はそんな過渡期のなかを、静かに歩いている気がする。


## 1.呼吸が揺れる夜に、私も揺れていた

呼吸器を専門としない病棟で

私の病棟は呼吸器を専門としていない。
私自身も呼吸器の経験はほとんどなく、
周りの看護師も似たような状況だった。

呼吸の変化は、経験で補うには限界がある。
医師がどこまで理解しているのかも、正直わからない。

抽象的な指示と、複数の選択肢

酸素療法の指示は「目標のSpO₂」だけ。
そこへ向かう手段は、看護側に委ねられている。

  • 簡易マスク
  • リザーバーマスク
  • ベンチュリー
  • 体位ドレナージ
  • 吸引
  • 医師へコール

答えはどこにも書かれていない。
それでも選ばなくてはいけない。

その夜、患者の呼吸は揺れていた。
そして、私も揺れていた。


## 2.その夜、AIに助けられた

従来の確認方法は追いつかない

根拠を調べれば数十分は消える。
アセスメントの妥当性を確かめる作業も、さらに時間がかかる。

夜勤の現場は、それを許してくれない。

一瞬で整う視点

だから私はAIに確認をした。
判断を任せたのではない。
ただ、必要な視点を一瞬だけ補ってもらった。

その情報を踏まえて実践したあと、
患者は良い方向へ向かった。

それが正しかったのか、
偶然だったのか——
きっと誰にもわからない。


## 3.“正しさ”を言葉にできない理由

私は本当に“正しく使えた”のだろうか

AIを正しく使ったつもりだった。
けれど、その成否は誰が決めるのだろう。
言葉にしようとすると、急に不確かになる。

本来の看護も、曖昧さの上に成り立っている

考えてみれば、私たちの看護もそうだ。
知識、経験、直感——
それらの曖昧な土台の上で、毎日判断している。

AIに感じる違和感は、
曖昧だったものに輪郭が与えられるときの、
あの小さな戸惑いに似ている。


## 4.まだ言葉にならない思考を、AIが先に描いてくる

AIと向き合ううちに、ひとつ強く感じることがある。

自分の中でまだ具体化されていないものを、
AIが先に形にしてくる瞬間がある。

それは正解ではない。
ただ、未来の自分がいずれ辿るであろう考え方の、
ほんの輪郭だけをそっと置いていくような作用だ。

判断は自分がする。
その場にいる身体が決めていく。
AIはその外側で、
思考の「かたち」だけを整えてくれる。

その距離感はどこか不思議で、
期待と怖さが、同じ場所に静かに並んでいる。


## 5.AIを使うのに、言いにくさが残る理由

倫理と誤読のはざまで

正しく使っていても、
正しく見えないときがある。

  • 患者情報の扱い
  • AI依存と切り取られるリスク
  • 「医療にAI?」という空気
  • まだ整っていない倫理の枠組み

今は、そんな時代だ。

だから、私はAIに聞いたことを少しだけぼかす

「あとで静かに振り返った」

そんな薄い言い回しにしておくことで、
余計な誤解を避けようとしている。
それすら正しいかどうかも、まだわからないまま。


## 6.どこかの誰かに届けばいい

同じように迷っている看護師に、
少しでも寄り添えたらいい。

私は専門家ではない。
ただ、この過渡期を歩いているひとりの看護師として、
揺れた夜のことを静かに残しておきたいだけだ。


## 7.未来はきっと、この揺れすら古くなる

いつか社会は、AIとの距離感を定義するのだろう。
その頃には、
私が今悩んでいることは「古くさい」と言われるのかもしれない。

まあ、なるのだろうな。
そこだけは、なぜか確信がある。

未来のどこかの誰かが、
「ああ、そんな時代もあったんだ」と
軽く言ってくれたらいい。

その一言だけで、
いまの揺れが少しだけ報われるような気がする。