ゲームについて書こうと思った。
FFの新作が刺さらなかった理由や、
どうしてゲームを途中で投げてしまうのか、
その“正体”を言葉にしてみたかった。
けれど書くうちに、
自分がゲームの何に心を動かされているのかという、
もっと根の部分が浮かび上がってきた。
どうやら私は、
ゲームそのものより “ゲームが世界をどう語るか” に反応しているらしい。
仕組みが見えた瞬間、急に冷めてしまう
多くのゲームは、
ある程度遊ぶと“内部の構造”が見えてくる。
このキャラは強い・弱い。
このスキルはこう回すと最適。
このマップはこう攻略するのが効率的。
それが見えてしまうと、
私は急に熱が引いてしまう。
単なる飽きではなく、
「この箱庭はこう動くように設計されている」
と理解した瞬間、
世界の奥行きがそこで止まってしまう感覚がある。
本当に面白いゲームは、“仕組みそのものが物語になっている”
ただ、すべてのゲームで冷めるわけではない。
十三機兵防衛圏を遊んだとき、
物語の構造とバトルシステムが
驚くほど同じ方向を向いていた。
物語の断片が散らばり、
時間軸が交錯し、
世界の仕組みそのものが少しずつ見えてくる。
その「真相への接近」を、
プレイという行為がそのまま象徴していた。
この物語は、このシステムでしか成立しない。
そう感じたとき、
ゲームは単なる娯楽ではなく、
“体験としての作品”に変わる。
エルデンリングでも同じ現象が起きた
エルデンリングの世界は不親切だ。
説明も少ない。
語られないまま残されるものが多い。
けれどその“抜けた部分”が、
逆に世界観の奥行きになっていた。
死んでやり直すという構造は、
世界に根付いた死生観そのものだし、
断片的な言語は世界の表現でもある。
プレイヤーが進むことで、
世界の真実が少しずつ形を帯びていく。
ここでも同じことを思った。
この物語は、このゲームプレイでしか語れない。
ただ、“エルデンリング ナイトレイン”では刺さらなかった
エルデンリングがあれだけ面白かったのに、
エルデンリング ナイトレインには
私はハマらなかった。
このとき初めて、
自分が“アクションRPGのゲームシステム”を
楽しんでいたわけではないことに気づいた。
世界観の深さ、語られない物語、
そこに触れる手触りがあったからこそ刺さっていた。
つまり——
私はゲームシステムよりもストーリーそのものに惹かれていた。
その事実が、ナイトレインを通してはっきりした。
同じ戦闘システムでも、
物語の奥行きがそこにないと熱が続かない。
ナイトレインにも奥行きは確かにある。
世界の作り込みも丁寧で、
物語の示し方にも工夫がある。
――ただ私にとっては、
“システムの存在感の方が勝っている” ように感じられた。
そのバランスの違いが、
自分の熱量に影響したのだと思う。
私にとっての“面白さ”の中心が
どこにあるのかが明確になった瞬間だった。
では、FF16はどうだったのか
まず前提として、
FF16は本当に良質な作品だと思う。
演出も、演技も、BGMも圧巻で、
映画的な物語をここまで高いレベルで描けるゲームは少ない。
ただ、私にとっては
“ストーリー”と“遊び”が
別々のレールを走っているように見えた。
カットシーンとバトルが交互に流れ、
プレイヤーの行動が
世界の理解にあまり結びつかない。
それぞれは完成度が高いのに、
その矢印が 同じ方向を向いていない ように感じた。
その瞬間、
どうしても熱が続かなかった。
結局、私が求めているのは「必然の体験」なのかもしれない
ゲームシステムは、ただの仕組みではない。
世界をどのように見せ、
物語をどう体験させるかという“語り方”だ。
私がゲームに求めているのは、
豪華な演出でも、
複雑な操作でもない。
「この世界は、この遊び方でしか触れられない」という必然。
その瞬間に出会えると、
物語とシステムがひとつの方向に揃い、
私はゲームという媒体の本幹に触れた気がする。
そしてその瞬間こそが、
ゲームの面白さの最高潮なのだと思う。
この物語は、この遊び方でしか触れられない。
そう思える瞬間を、
どこかでずっと求めているのだと思う。
……で、なんか面白いゲームない?