SNSを眺めていたら、
ふと目に留まった人の投稿があった。
短い言葉が、とぎれとぎれに置かれていて、
テーマと言いながら、テーマ性を感じない文章。
意味なんてなくて、
夢日記を読んでいるみたいだった。
続いて、その人がアップしている写真を見た。
食事をしている写真だ。
食器は統一感がなくバラバラ、
小さな食卓の端に謎の植物が置かれている。狭いのに。
背景には、物干し竿なのか、クローゼットなのか……、服が雑にかけられていた。
この人が書く文章とその写真が、
「ぐちゃぐちゃ」という点で見事に合致していて、
バカにしていたつもりが、すごく面白くて目が離せなかった。
逆に、意味とか軸ばかり考えていた自分が
バカみたいに思えてきた。
私はこれまで、
言葉も暮らしも、ある程度は整えるべきだと思っていた。
意味がつながること、
説明がつくこと、
そういう“筋道”があることが幸せだと考えていたし、
おそらくこれからも大きく変わることはないだろう。
けれども、その投稿を見ていたら、
その前提がふっとゆるむような感覚があった。
因果関係がない
意味もない
生活も雑で
それでもそのまま生きている
それがなんだか可笑しくて、
同時に、ちょっとだけ心が軽くなった。
正直、最初はバカにしていたし、
ツッコミどころの多さに笑ってしまった。
「テーマ?この文章のどこにテーマが?」とか、
「これ写ってるけど、気にしないのかな?」、
「どうしてそんな狭いテーブルに花瓶置いてるの?」みたいな、
そんな驚きがいくつもあった。
でも、笑いながら思った。
羨ましいなって。
ありのままの自分を見せられる強さというか、
不思議な魅力があった。
無秩序なのだけれど、
それがこの人なのだなと思うと、
「意味がなくても本当にいいんだ」と、思えた。
私は、言葉も、時間も、暮らしも。
意味があるほうがいいと思っている。
でも今日見たものは、
意味がなくても成立していたと思う。
一貫性なんてない、楽しそうで、自由で、
それはとても羨ましく思えた。
そんな姿を見ていたら、
自分の中の「意味」への執着が、薄くなるような感覚があった。
ふっと頭の奥が軽くなるような、そんな感じだ。
その部屋は散らかっていたし、
文章もおかしい。語られていた思想だって極端だった。
でも、自由だった。
ぐちゃぐちゃで、理屈なんてなくても、
自由とか幸せってあるのかもしれない。
自分でも意味がわからないが、
この人は自立している人なんだな、と思った。
私が知らなかった“説明のつかない生き方”が確かに存在していて、
それがそのままで成立しているという事実が、
自分自身や他者に対して、余白を持たせてくれた気がする。
意味がないもの。
整っていない思考。
筋道のない日常。
そういう生き方も悪くないなと思った。
知らないことを知ることは本当に面白い。
もう随分と旅にでることもなくなっていたけれど、
どこか旅に出たいな、と思わせて貰えた時間だった。