医療の現場には、患者・家族と医療者のあいだで、理解のギャップのようなものが生まれているのではないか——そんな感覚を抱くことがある。
とくに看護の判断や意図は、伝わりにくい場面が多いと感じている。
最近、そのすき間にAIが関わってくる未来を、うっすらと思い描くようになった。
それは理解を助ける光にもなり得るし、看護が抱えてきた曖昧さを照らす不安も含んでいる。
この記事は、その“予感”に近い感覚を、私個人の視点から静かに整理してみようとしたものだ。
現場の温度感:医療の中で見えにくい看護
看護の現場にいると、いつも思うことがある。
患者や家族は、看護のことをほとんど知らない。
もちろん、それは患者と家族だけではない。
医師も、他のコメディカルも同じだ。
看護が日々どんな判断をしているのか、完全に把握できているわけではない。
「診療の補助」
「生活の援助」
こうした言葉で看護が語られることは多い。
しかし、その背景にある判断や観察、患者と家族の“これから”を見据えた関わりは言語化されにくい。
実習指導者として学生と向き合うと、看護の本質を理解する難しさを改めて感じる。
それは学生だけでなく、看護師自身にも当てはまる。
そして正直なところ、自分自身も看護を“完全に理解している”とは到底言い難い。
日々の実践のなかで、言葉にできない部分がいくらでもある。
ふと思う。
「看護とは何か」を説明できる人は、どれほどいるのだろうか。
現場で働く私たちでさえ、その輪郭を掴みきれずにいる。
だからこそ、この“見えにくさ”と向き合い続ける必要があるのだと思う。
そんな中で、私は看護を“患者と家族の自立に寄り添うもの”だと捉えている。
多くの患者と関わる中で、そう思うようになった。
目に見えづらく、曖昧で、奥行きが深い。
事実、看護は学問としての歴史も浅く、いまも発展の途中にある。
では、この“見えにくさ”は、どうすれば少しでも埋められるのだろうか。
私たちが丁寧に説明しても追いつかない“理解の隙間”。
その隙間を、AIという新しい存在が埋めるのではないか。
AIが患者と家族の理解を支える未来
患者も家族も、医療の“中身”を理解することは難しい。
医師の説明は専門的で、看護の意図はなおさら見えづらい。
しかし、もし患者や家族がAIを使えたなら——
その構造は静かに変わり始めるのではないだろうか。
AIは病気や治療、ケアの意図をわかりやすく、丁寧に説明してくれる。
理解できるまで何度でも聞き返せるし、気になる部分だけを深掘りすることもできる。
「よくわからないけど任せるしかない」
そんな状況は少しずつ薄れていく。
これは医療者を疑う動きではなく、患者と家族が医療に主体的に関われるようになるということだ。
AIは“理解の通訳者”になる
AIが“理解の通訳者”のように働く場面が増えれば、医療の風景は静かに変わり始めるだろう。
今どんな状態なのか。
なぜその治療が選ばれたのか。
看護師がどんな意図でケアしていたのか。
これから何に気をつけるべきか。
こうした情報を、AIが患者と家族に合わせて再構築してくれるかもしれない。
看護の判断や優先順位、環境調整やセルフケア支援など、これまで見えづらかった部分に光が当たる。
患者と家族が理解しやすくなることで、
看護がこれまでより伝わりやすくなる可能性があるのではないか。
“もしAIが近くにいたら”と思う瞬間
病院では、説明を聞いたあとに
「医師にお任せします」
「不安はあるけど、今は治療を受けるしかない」
と話す患者や家族がよくいる。
患者の心の中には問いが残っていることは明らかだ。
「治療の意味がまだよくわからない」
「看護師がしていたことの理由が知りたい」
「この状態は良いのか悪いのか…」
もし近くにAIがいれば、理解できるまで噛み砕いて説明してくれるだろう。
AIが埋める“理解の穴”
治療方針の背景。
今の状態の意味。
ケアが必要な理由。
家族としてできる支援。
生活上の注意点。
こうした点を、AIが患者や家族に合わせて補ってくれる未来が、もしかすると訪れるのかもしれない。
そうなれば、患者を覆う不安の霧が少しずつ晴れていく場面も生まれるだろうと感じている。
これは決して今の医療者への批判ではなく、
医療者と患者の理解のズレ、非対称性を、
AIがゆるやかに橋渡ししてくれる可能性についての想像にすぎない。
そして、そうした変化は、思っているより遠い未来の話ではないのかもしれない。
看護が“見える”ようになる不安と、向き合うということ
AIによって理解が深まる未来には価値がある。
ただ、その一方で小さな不安を感じる私がいる。
看護が、今よりもはっきり“見える”ようになるのではないだろうか。
これまでの看護の評価は曖昧だった。
「親切だった」「丁寧だった」といった印象に左右されがちだった。
しかしAIが背景の意図を説明できるようになると、
看護の判断や説明の妥当性が、これまで以上に明確になる。
その瞬間、私は思う。
医療側と患者側の“理解の非対称性”、
そして看護の曖昧さに対して、
私自身がどこかで甘えていた部分はなかっただろうか。
忙しさを理由に説明しきれなかったこと。
伝えきれなかった意図。
ケアの意味を共有しきれなかった場面。
AIは看護の価値を脅かすのではなく、
むしろ看護を誠実に見つめ直すきっかけになるのだと思う。
そしてこの“ざわつき”は、きっと私だけではない。
同じ現場にいる医療者なら、心のどこかが少し動くはずだ。
期待と緊張はいつも隣り合わせ。
どちらか一方だけで未来は語れない。
変わるのではないか、というだけの話
正直なところ、AIが関わる医療がすでに変わり始めている、という実感があるわけではない。
現場では、まだ何も変わっていないと言っていいと思う。
それでも私は、いつか医療の受け止め方が少しずつ変わっていくのではないか——
そんな“予感のようなもの”を抱くことが増えてきた。
もちろん、それが実際に起きるのかどうかはわからない。
途中には戸惑いも揺らぎもあるだろうし、
何も変わらない可能性だって十分ある。
ただ、“変わるのではないか”と私が感じていることそのものを
今の段階で言葉にしておきたい。
これは、そのための記録だ。